来月で僕も39歳。いよいよ40歳の大台が目前に迫ってきた。
「不惑」
39歳は数えで40歳になるが、この年は古くから「惑わず」と書いて「不惑」という。
語源について調べてみたところ、孔子の論語にある一節「四十にして惑わず」というのが由来になっているようだ。
ふ‐わく【不惑】
〘名〙
① まどわないこと。心が乱れたり悩んだりしないこと。〔論語‐為政〕
② (「論語‐為政」の「四十而不レ惑」から転じて) 四〇歳の異称。
引用元:不惑とは - コトバンク
その不惑を目前に、僕自身は人生に迷いまくりである。
確固たる自分というものを持ったことがないし、持てるめども立っていない。
自分のキャラクターでさえ惑いまくり
そんなもの、遅くとも20代半ばくらいまでに固めとけって話だが、
僕は自分のキャラクターというものがいまいち安定していない。
「こんな人物になりたい」というものをいまだに探し続けていたりする。
そんな状態なので、見た映画、読んだ本や漫画に少なからず影響を受ける。
バリバリ仕事ができる超人が出てくる映画を見て、自分もそうなりたいと思ったかと思えば、自分の評価なんて興味なし、自由気ままに人生を楽しむ奔放な主人公の小説を読めばそれもいいなと思う。
「あんな生き方もいいな」
「こんな考え方もいいな」
「この人のような人生を送ってみたい」
「ひょっとして僕はこんな風に生きた方がいいのでは?」
「いや待て、こっちの方が楽しそうだ」
「なんでこんな生き方ができないのだろう」
そんなことを繰り返して、あっちへフラフラこっちへフラフラ。
気づけば自分の「キャラ」もしくは「生き方」を完全に見失ってしまった。
周りからしたらだいぶ情緒不安定に見えているんじゃなかろうかと少し不安に思う。
親になって
そんな僕だが、いっちょまえに親にもなった。
娘は今年で9歳、息子は3歳になる。
子どもたちの前ではかろうじて「親」というキャラクターをブレずにこなしている、、、と思う。
僕が子供のころ、今の僕と同じ年頃の父・母はもう少し落ち着いた大人だったような気がする。
こんなに不安定で自分のキャラすら不明瞭な僕でもなんとか親をやれているんだと思うと、少し不思議な気持ちになる。
惑わずに一本芯の通った生き方をするには、もっと精進せねばなるまい。