Hello! Mr.Simplism

僕の人生補完計画

根拠不明の「たぶん」にまみれ、今日も無意味な会議は踊る。

お題「わたしの仕事場」

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会議や打ち合わせをしていて、参加者が口々に「たぶん」という言葉を連発するようになったら、それがおしまいの合図です。

 

「たぶん」が頻発するわけ

それはもう、事実を元にした議論をする余地がなくなり、憶測のみで何かを無理やり解決に持っていこうとする兆しです。手元にある数字など、具体的にわかっている事実だけでは解決することができない問題にぶち当たっています。「とにかく何かしゃべらなきゃ」と思うあまり、なんの根拠もない妄想を元に議論じみた何かを展開し始めます。マシンガンの如く繰り出される「たぶん」ときどき「おそらく」。中には長年の経験に裏打ちされたある種のカンで一気に解決策を提示するその道の神様みたいな人もいるでしょうが、たいていは根拠もへったくれもないただの思いつきです。とにかくラクして結論に至りたいだけの安易な考えに侵された「会議ごっこ」に成り下がります。

連鎖する「たぶん」

ひとたびその状態に陥ると、瞬く間に事実無根の妄想弁論大会が始まります。一人が放った「たぶん」に違和感を覚えたもう一人が「たぶん」で異論を唱えます。それに触発されたさらにもう一人が、誰かの「たぶん」から勝手な推論を展開し、更なる「たぶん」を産み出します。そうして積み重なった「たぶん」の山の中から謎の結論が導き出され、会議は大幅な時間オーバーの末に全く無意味な満足感と言葉にできない違和感に包まれて幕を閉じます。その結果は推して知るべし。

冷静になって!結論を急がないで!

そうならないために、誰かが言うべきなのは「事実確認しましょう」という言葉。「会議や打ち合わせはそれを開いた目的に対して絶対に100%解決策を見出ださなければならない」という強迫観念をお持ちなら、今すぐ捨て去りましょう。議論の末にわからない点が出てきたのなら、それはそれで収穫なのです。「問題を解決するために調べなければいけないことが分かった」と言うのも1つの成果だと認識することで、新たな道が拓けます。もちろんそうならないために事前に準備をすることも大切ですが、それでも分からないことが出てくることは往々にしてあるものなのです。大切なのはその時、「たぶん」で結論を急ぐのではなく、すぐに確認するための時間を設けるか、時間がかかるようなら次の議題に移るもしくは会議を打ち切って後日「事実を元に」話せるよう日を改めましょう。

最後に

以上の主張は、僕が今の会社に入って幾度も経験したことから書きました。事実に基づいた議論をしましょうと何度言っても相変わらず「たぶん」を連発する同僚をいかに分からせるか、日々心を痛めていますが、この「たぶん病」には相当根深い何かを感じています。自分の推測が当たる方にフルベットするギャンブラーどもに囲まれながら、今日も会議は踊ります。

 

たぶん

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