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僕の人生補完計画

カーネル・サンダースの人生について思うこと

【文庫】 カーネル・サンダース 65歳から世界的企業を興した伝説の男 (文芸社文庫)

お気に入りのPodcast番組であるコテンラジオのSpotifyオリジナル版で世界的なファストフードチェーン、ケンタッキー・フライド・チキンの創業者であるカーネル・サンダースの人生についての回が非常に面白かった。

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彼の人生に興味が出てきたので早速図書館に行き、本を一冊借りて読んでみた。

ご存知の方も多いと思うが、サンダース氏は65歳からフライドチキンのフランチャイズを始め、1代で世界的企業を作り上げるという大成功をおさめた。そのため、よく「何かを始めるのに遅すぎることはない」ことの例えとしてサンダース氏が挙げられる。

間違ってはいないのだけど、コテンラジオを聞き、本を読んだ後の僕の感想としては、それは少し違うと感じた。

 

サンダース氏は65歳から頑張り始めたのではなく、どんな苦悩にもくじけず、幼少期からずっと頑張り続けていた。

 

サンダース氏の本名はハーランド・サンダースと言い、「カーネル」と言うのは後にその功績を讃えられて与えられた称号の名称だ。

 

生い立ち

米国のあまり裕福ではない母子家庭(父親は幼い頃に他界)に生まれ育ったハーランド少年は、幼い頃から家事を手伝い、中でも料理が好きだったそうだ。ある日、女手一人で働く母のために焼いたパンを、母が勤める工場に持って行ったとき、パンを食べた母はあまりの美味しさに周りの同僚にも食べさせ、大いに自慢した。ハーランド少年は大変に喜び、この時の体験がのちの飲食業への原動力になった。そのまま飲食の道に進んだかと言えばそんなことは全く無く、ハーランド少年は再婚した母の新しいパートナーと折り合いが悪く、14歳で家出している。

 

家出

家出したからには自分の力で生活して行く必要があるため、ハーランド少年は陸軍に入隊し、除隊後に鉄道会社で働き始める。仕事ぶりが認められてある程度出世するものの、ふとしたことがきっかけでクビになっている。その後、彼の正義感を活かして弁護士になるが、元来ガンコな性格が災いして顧客と衝突することもたびたびで、結局他の道に進み始める。

 

他にもいろいろな仕事をしては辞めるを繰り返しているが、詳しく知りたい人はコテンラジオを聞くなり本を読んでほしい。

 

サンダースカフェ

サンダース氏が40代になった頃、紆余曲折を経てガソリンスタンドの経営をするようになった。ガンコだが仕事に対する姿勢は常に全力で、人々を喜ばせたいという気持ちから気前のいいサービスですぐにガソリンスタンドは繁盛するようになった。遠方から車でやってきた人は腹ペコであることが多かったことから、サンダース氏はガソリンスタンドで食事を提供することを思いつく。サンダースカフェと名付けられた、ガソリンスタンドの一角に作られた狭い食事スペースで提供された料理の中で一番人気だったのが、幼少期に母から作り方を教わったフライドチキンだった。これが、のちのケンタッキーフライドチキンの原型になった。

 

サンダース氏のフライドチキンはまたたく間に大人気となったが、狭いスペースでは限界を感じたためガソリンスタンドを売払い、サンダースカフェ一本に絞ることにした。それからしばらくは順調に経営していた。しかし、途中、火災による店舗焼失などの苦難を乗り越えたものの、サンダースカフェがある街を迂回する形で出来上がったハイウェイの影響で客数は激減。立ち行かなくなってあえなく廃業となる。サンダース氏はこの時の60歳を過ぎており、引退して年金暮らしをすることを決めた。しかし、肝心の年金がとても夫婦二人で暮らしていける額ではないことが分かり、また、後年のカフェ事業の経営悪化で貯金もほとんどない状態だったため、サンダース氏は大いに焦った。

 

秘伝のレシピを「売る」

そのピンチの最中に思いついたのが唯一の資産と呼べる、あのフライドチキンの秘伝のレシピだった。新たに店を立ち上げる金銭的な余力はなかったため、サンダース氏はこのレシピを提供し、かわりに売上の一部を報酬として受け取るフランチャイズ方式を取ることにした。

 

妻と二人で車に圧力鍋と秘伝のスパイスを乗せ、アメリカ中のレストランを訪ねては調理場を借りてフライドチキンを作って徐々にフランチャイズ店舗を増やして行った。

軌道に乗るまで数千件のレストランを訪ねて周り、お金の節約のため妻と車で寝泊まりしたり、食事は試作して余ったフライドチキンだけだった日もあるという。そうして1件、また1件とフランチャイズ店舗を増やしていき、時にはレシピ通りにフライドチキンを作らないフランチャイジーに激怒して契約を打ち切ったりしながら、一切の妥協をせずに「ケンタッキー・フライド・チキン」のブランドを作り上げていった。その努力が実り、今日の世界的大企業に発展することとなった。

 

以上がザックリとしたカーネル・サンダース氏の半生だが、のほほんと暮らしていた彼が65歳から頑張って人生一発逆転したのではないことがわかる。彼は仕事こそ転々としているものの、幼い頃からずっと、誰よりも一生懸命働き続けた結果として世界的企業を作り上げた。

 

普通の人ならとっくのとうに心が折れていたであろう数々の挫折を乗り越え、さまざまな仕事を全力で、しかも人々を喜ばせるために取り組んだ。いい意味で諦めの悪いジジイだった。また、65歳から新たな事業を始めるサンダース氏もすごいが、常に隣に寄り添い、時にはサンダース氏と二手に別れて店舗開拓に努めた彼の妻もまたすごい。

もしこれを読んでカーネル・サンダース氏に興味を持ってくれたのなら嬉しい。
ウィキペディアでも彼の人生のあらすじを知ることができるが、もっと詳しく知りたいという方は以下の本を読むことをオススメする。

 

 

最後に、彼の言葉を1つ紹介したい。

神様が一人一人を地上に置いておくのには、2つのうちのいずれかの理由があるからである。ひとつは、その人間が犯した罪を償わせるためである。誰でも過ちを犯す。我々は生きているうちに、その罪を少しでも償わなければならない。もう一つは、神様がその人間に、何かをやらせようとしているからだ。

もし神様がいるとして、その神様はいったい僕に何をやらせようとしてこの世に産み落としたのだろうか。

そのことを知るためには、まずは一生懸命生きなければいけない。

 

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