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僕の人生補完計画

年を取って涙もろくなるのは、いろんなことを経験した証

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ちょっと前にアマゾンプライムで大泉洋主演の「青天の霹靂」を見て、久々にボロ泣きした。休日の早朝に見たので、泣き顔を家族に見られなくてほんとによかった。

 

よく年を取ると涙もろくなるというが、自分がそうなっていることに驚いた。
昔は僕もそうでなかった。「全米が泣いた!」とか謳われている映画を見ても、面白いとは思ったりはするものの涙を流すことなんてありえなかった。「自分には人として大事な感情が欠けているんじゃなかろうか」と心配したこともあったけど、無事、人並みに涙を流すようになって少し安心した。

あらためて見て号泣した映画

ブルースウィリス主演「アルマゲドン」はちょうど僕が高校受験を控えた時期に公開された映画だったと思う。SF映画大好き少年だった僕は、息抜きのために一人で映画館に見に行ったのを覚えている。当時の感想は「面白かったけど、ディープインパクトとほぼ同じじゃねーか!」と思いつつ、地球を守る男たちの熱い戦いに感動して「今の僕にできることは、志望校に受かることだ!」という、やや強引な結論で受験勉強を頑張っていた記憶がある。

2~3年ほど前に、久しぶりに「アルマゲドン」を見たくなってレンタルしてみたところ、意外なほど号泣した。たしか大学生か社会人になってすぐのころにも見た記憶があるけど、その時は泣いていなかったと思う。古い映画なので今さらネタバレしても大丈夫だと思うが、号泣したシーンというのが話の終盤、ブルースウィリス扮するハリーが小惑星に設置した核爆弾のスイッチを押すシーンだ。

ハリーがスイッチを押す瞬間、一人娘であるグレースの生まれたころからの記憶がフラッシュバックする。その時、まだ結婚していないはずのグレースのウェディングドレス姿が一瞬だけ映る。これはハリーの記憶ではなく、いつか結婚するであろう愛娘の花嫁姿を想像した姿なのだろう。娘の幸せを願い、その娘の未来を守るために、自分の命と引き換えに今から核爆弾のスイッチを押す覚悟、そして娘の晴れの日にそばにいてあげられないハリーの無念が入り混じった「父親の気持ち」を表現したシーンだ(少なくとも僕はそう感じた)。娘がいる僕には、ここが強烈に刺さった。過去2回、一切泣かなかったのはまだ僕には子供がおらず、父親の感情が理解できなかったからだと思う。

「青天の霹靂」でも泣いた

いちいちあらすじを書くのもなんなので端折るが、大泉洋演じる売れないマジシャンの晴夫がタイムスリップした先で死別した母と出会い、自分を妊娠した母親と病室のベッドで会話するシーンで自分でもひくぐらい号泣した。

母の愛どころか顔すらも知らなかった晴夫が、自分の正体を隠しながら間もなく出産を控えた母親のそばに寄り添い、おなかをなでながら一生懸命、これから生まれてくる子供(=晴夫)に、どれだけ愛しているかを伝えるシーンだ。母親を演じる常盤貴子がまた美しいのなんのって。おなかの子どもに愛を伝えて「聞こえた?」と問いかけ、そばにいた晴夫が泣きながら蚊の鳴くような声で涙を流しながら「聞こえました」というシーンは、こうして思い出しながら書いているだけで目頭が熱くなる。

このシーンが僕に刺さる理由は、おそらく母の死なんだと思う。そのあとに続く晴夫の一世一代のマジックのシーンでも引き続き泣き続けていたが、もうここまでくると泣いている理由がよくわからなくなってくる。

経験することで共感できるようなった

いずれにせよ、僕が涙もろくなった一番の理由は、いろんな経験を通して共感できることが増えたからだ。出会いも別れも、38年も生きていればそれなりに経験する。そのたびに心に傷を負いながらも今日まで何とか生きてきた。そうやって生きてきた僕の心は、もろくなったのではなく敏感になったんじゃないかと思う。自分にも当てはまるストーリーがそうしてストーリーにも共感できることが増えて、涙腺が緩むことがこんなにも多くなってしまったんだなぁとしみじみ思った。

 

 

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