インターネットが発達しすぎたせいで、ひとりで静かに考える時間を作るのに努力が必要になった
最近、映像や音楽から少し距離を置く時間を増やしたほうがいいな、と感じる。
◆音楽や映像を垂れ流している
歩いているときはたいてい、イヤホンで音楽やPodcastを聴き、家ではほとんど常にテレビやYoutube、音楽などをなんとなく垂れ流す生活をしていた。
何かをしながら情報を受け取れて便利だと思っていたけど、最近、ほんとにそれでいいのか疑問に思い始めた。
◆なんとなく、ぼんやり
音楽を聴いているとき、映像を見ているとき、たいていの場合あまり頭は使っていない。なんとなく、ぼんやりと見聞きしていることが大半のような気がしている。
頭を働かせなくても音や映像の刺激が勝手に飛び込んでくるので、頭を使わずに済む。
脳みそにとっては、とても楽な状態だ。
◆考える時間が減っている
日々、考えたいこと、考えなければいけないことが無数にあるのに時間がない。
なぜなら、耳と目から入る情報に意識を向けすぎて頭を働かせていないから。
今はスマホという超絶便利なデジタル機器が普及しており、簡単に外部の情報にアクセスできるようになった。映像を見るのも、音楽を聴くのもほんの10年前よりも格段に身近なものになったと思う。
とても便利になった反面、いつしか人は外部しか見ないようになり、自分の内面に向き合う時間が極端に減ってしまったのではないかと思うようになった。
◆昔の人は
以前紹介した歴史漫画は、登場人物がひたすら考え悩むさまがたびたび出てくる。
マンガを読みながら思ったのは、「昔の人は自分の内面に向き合っている時間が、格段に長かったのではないか」ということ。
テレビもラジオすらもなかった時代、人はどうやって日々を過ごしていたのだろうと考えた。
夜、独りで部屋に佇んでいるとき、ろうそくの明かりで書物を読むか、ひたすら自分の内なる声に耳を傾け続けていたんだろうか。
今よりもっと情報という物が乏しい時代に生きた人たちが、頭の中でどんなことを考えてきたのかが、最近のもっぱらの興味ごとだ。
◆散歩。一人佇む時間。
Twitterでほぼ毎日つぶやいているが、朝の散歩を日課としている。この時ばかりはイヤホンはつけず、周りの景色を見たり歩きながら考え事をするようにしている。
仕事から帰って自分の部屋で一息ついているとき、以前ならすぐにYoutubeを垂れ流していたけど、最近は意識して音と映像を断つ時間を作っている。
外部刺激の代わりに、自分の内面に向き合い、考え、時にはその考えをノートに書きだしてみると思いの外いろいろなことが思いつく。
とりとめのないことが多いけど、時々、これは!と思うことが頭に浮かぶことがある。
ブログを書くことも自分の内面に向き合う大切な時間の一つになっている。
自分の考えを文字に起こすことは、簡単なようでなかなか難しい。
簡単に外部につながれる時代になってしまったからこそ、以前より、自分と向き合うのに努力が必要な時代になってしまったように思う。