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僕の人生補完計画

思い出の品を捨てようか悩んでいる人へ

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物を減らす為に身の回りのいらない物を捨てるとき、おそらく誰もがぶち当たるこの問題。
「思い出の品」を捨てるかどうか、大いに悩むところだと思う。

 

たくさんの思い出が詰まっている、そしてそれを捨てたら二度と手に入らない物を誰しも1つは持っているはず。思い出の品という物は、生きている限り増え続けてしまい、そしてもっとも捨てづらいもの。
我が家にもそんな思い出の品がある。親になり、娘が描いてくれたほう絵や幼稚園で作った工作など、現在進行形で増え続けている。これを「不要な物だ」と割り切って捨てられるドライな人が、世の中にどれだけいるだろうか。
そこで、今日のタイトル「思い出の品を捨てるか否か」についてだが、僕の答えは

 

「捨てない」。

 

捨てないといっても際限なくため込む訳ではなく、たとえば大人になってから旅行先で自分で買った特に使わない品に関しては、ほとんど捨てた。小学生の時に初めて自分で作った校歌の流れるオルゴールは、妻のアクセサリー入れになってる。娘からもらった絵は壁に飾っている。大学の卒業記念でもらったボールペンは使っているうちに壊れたので捨てた。卒業アルバムや文集、引っ越しの時にもらった寄せ書きなどは小さな段ボールに入れて押入にしまっている。写真は全部スキャンしてパソコンに保存、写真そのものは捨てた。

 

思い出の品の中でも日常生活で使う物に関してはどんどん使う。校歌の流れるオルゴールだってしまっておけばただの思い出の品だが、妻がアクセサリーをまとめる必要があり、オルゴールがその役目を担えるなら、それはもう「僕の思い出と妻のアクセサリーが詰まった箱」になる。別に新しくアクセサリー入れを買う必要もないし、ちゃんと役に立ってる。思い出の品でもそれ自体は使うことができて、かつ自分の生活に必要な物は使えばいい。使い倒して壊れて機能しなくなったら、改めて捨てるかどうかを考えればいい。

写真のように形はどうであれデータとして残せば思い出として成り立つ物はデータ化すればいい。ただ、たとえば僕の中では娘の描いた絵は全くの別物。なにもない殺風景な壁でも、娘の絵を貼ればそれは立派な心安らぐアートであり、僕にとって世界でもっとも価値のある絵画だ。せっかく娘が僕の為に描いてくれた絵を「データ化したから捨てるね」とは言えないし。

普段利用しないけど本当に捨てられない思い出の品は、まとめてみると意外と小さな段ボール1個に収まるもの。それすら家に置いておけないほど心に余裕のない人は、もう物が多い少ない以前に脅迫観念的に「物を捨てなきゃ」と思いこんでしまっているんじゃ無かろうか。シンプルライフだとかミニマリズムだとかは、もっと心の平穏だとか本当に必要な物を見つめ直すためにあるわけで、苦痛を伴ってまで物を捨てようとする行為はちょっと理解できない。思い出の品を捨てるかどうか日々悩み続けている人が誰よりも物に執着して生きづらくなっている人だと、僕は思う。

simplism.hatenablog.com

 

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