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僕の人生補完計画

献血はある種の保険?自らの血液を差し出すということ

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昨日から献血可能になった(前回の400ml献血から16週間経った)ので、今日、出かけるついでに駅前に出ていた献血バスで献血をしてきました。

全く献血をしない期間もあったけど、今回で17回目だそうな。17×400=6.8リットル。
僕の体格だとだいたい体の中に5.4リットルくらいなので、とうに人間1人分は献血してるってことですね。

献血は義務だとは思っていないけど、いつも不足しているっていうし、僕自身別に足りてないわけじゃないから「まぁ、あげとくか」ってくらいライトな感じで献血に行っています。たまにちょっと血を抜いて、新しい血を造ればデトックスみたいな感じになりそうだし。たぶん違うけど。

 

献血で採取された血液は、輸血に使われるだけじゃなく、血液製剤の有効性や安全性の確認のための研究なんかにも使われるそうです。今日もらったパンフレットに書いてあるのを読んで初めて知りました。

 

ここには輸血や血液製剤としての使用としか書かれていませんね。

www.jrc.or.jp

 

こちらには献血血液を使用した研究一覧などが閲覧できます。いろんなことに使われているんですね。

www.jrc.or.jp

 

当たり前ですが、献血はボランティアです。本当に血液を必要とする人のためを思って献血される立派な方や、僕のようにあまり考えずに「足りないってんなら、どうぞ」で差し出す人もいますが、献血は献血。無償で差し出すものです。

中には「ボランティアで集めたくせに、日本赤十字はその血液を医療機関に対価として金銭を要求してるじゃないか!売血だ!」と言っている人もいるようですが、そりゃお金とるでしょ。今日行った献血バスだけ見ても、バスの運用・整備費用、診断するお医者さん、献血スタッフの人件費、献血キットなどの費用、献血時にもらえるドリンク代、記念品の費用などなどが掛かってるんですもん。それらの維持にはどうしてもお金が必要なんですから。それくらいは血液を売った費用で賄わないと、税金などを投入しない限り仕組みとして成り立たないですよ。そこから法外な利益を得てるとしたら、それはちょっとおかしな話ではありますが、少しの利益はとるべきです。この場合利益と言っていいのかわかりませんが、将来に向けた献血設備の充実化に回す費用だとか、年々減り続けている血液提供者を増やすための費用分は貯めることも必要かと思います。

「じゃあ個人の売血もOKにしろ!」みたいな論調もあるようですが、それとこれとは話は別。個人の売血は僕も反対です。売血とは血液を提供する代わりに金銭を受領する行為なのですが、それを個人レベルまでOKしてしまうと、金銭目的の無理な採血、ひどい場合は借金のカタとして売血を強要されるなんてことも起こりうるわけです。とりわけ今の日本(今に限った話ではないけど)は社会的弱者を狙った貧困ビジネスなんてものが蔓延してますし、売血を合法化したら間違いなく狙われると思います。実際、売血が違法化される前の1960年代には、暴力団の資金源に使われていたこともあったようです。

ja.wikipedia.org

 

献血する人が減って、常に輸血用の血液のストックがギリギリなんて事態になってほしくないですね。万が一事故などで輸血が必要になった場合、困るのは自分自身ですから。そういう意味で、献血ってある種の保険みたいなものなんじゃないかと、ふと思いました。健康な時に自分の血液を提供しておいて、国内の血液の在庫を常に潤沢にしておけば、いざというときに安心だと思いますよ。

ちなみに提供した血液自体の保存期間は全血製剤と赤血球製剤の場合は21日、血小板製剤はたったの4日だそうです。

 

厚生労働省WEBサイト「輸血用血液製剤の供給状況」

https://www.mhlw.go.jp/new-info/kobetu/iyaku/kenketsugo/2q/pdf/4-3.pdf

 

貯めておける期間ってすごく短いんですね。だからこそ、継続的に献血者を確保する必要があるんですね。これはぜひとも、健康上問題ない人はぜひ献血に行ってもらいたいですね。私の妻もそうですが、赤血球数が基準値に満たないため400ml全血採取ができない人もいます。そういう方は200ml献血や成分献血をするという手もありますし、そもそも困っているのは血液だけに限った話ではないので、自分ができることで何らかの貢献をしてみれば、もうちょっと世の中が良くなっていくんじゃないかなぁと思います。

新型コロナの影響もあるかと思いますが、最近世の中が少しギスギスしすぎなような気がします。そんなことを今日、採血中にふと思ったので記事にしてみました。

 

 

インフルエンザワクチン一つ打つのにも不安が募るなんて。

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今日会社で、総務部からインフルエンザの社内予防接種の予約案内メールが届きました。
会社で半額補助してくれるので毎年予防接種を受けていましたが、今年も受けておこうかなと思ったとき、ふと考えました。

新型コロナの影響で去年はインフルエンザが激減したし、受ける意味あるんかな?

新型コロナが流行する前は、日本国内では毎年700万~1400万人がインフルエンザにかかっていたようです。それが新型コロナが流行した後の2020~2021年の新規感染者はなんと1.4万人!

weathernews.jp

減りすぎだろ!ってくらい激減したんですね。

やはり新型コロナの影響で手洗い、消毒、うがい、マスクの着用という風邪予防の基本をほぼ国民全員が実施したことに加えて、感染を恐れて密集しなくなったことが感染の激減につながったようですね。

 

 

では今年はどうなんでしょうか。

新規感染者数は日に日に減ってきているとはいえ、まだまだ予断を許さない状態。今日(9/21)現在、どうやら28日には緊急事態宣言も解除されるんじゃないの?みたいな空気にはなっていますが、なんかもう日常的に外出時にはマスクをするのが当たり前になってきてる感じがしますし、ある程度手洗いうがいも習慣化されており、今年もインフルエンザの流行は例年に比べてだいぶ落ちるんじゃないかなぁと予想しています(あくまで個人の意見です)。

 

あと、少し心配なのが「新型コロナワクチンを打ってから、インフルエンザワクチンを接種するのにどれくらい間隔を開ければいいんだろう。っていうか打って大丈夫かな?」ということ。

一応、厚生労働省のサイトには新型コロナのワクチンとその他のワクチンの接種間隔は、片方のワクチンを受けてから2週間後に接種可能とあります。

 

www.cov19-vaccine.mhlw.go.jp

でも、例外的に超短期間で治験を済ませて、長期的に問題が起こるかどうかの確認が取れていない状態なのに、打って大丈夫という根拠がどこにあるのかいまいち不明です。僕はモデルナ製のワクチンを打ちましたが、打った後に例の異物混入報道があったり、いろいろときな臭い状態でぶっちゃけ半信半疑です。

新型コロナのワクチン接種が本格化したのが今年に入ってからなので、新型コロナワクチン接種後にインフルエンザワクチンを大規模に接種するのはこの冬が初めてのはず。何が起こるかわからないという一抹の不安がないといえばうそになります。

過度に不安をあおって「ワクチン接種は危険だ!やめておけ!」と言っているわけではありませんよ、念のため。

僕たちが今、いろいろなことがあやふやな状態でみんな手探り状態になり、疑心暗鬼になりながら息苦しい生活を強いられています。毎年当然のようにやっていたインフルエンザワクチン接種一つとっても、いろいろと不安を募らせなきゃいけなくなってしまったほど、新型コロナの目に見えない影響が暮らしの中に深い爪痕を残してしまったんだなぁと思う今日この頃です。

 

 

未来のエアコンは「色」で温度を制御するのだろうか ~世界一白い塗料が実現するモノトーンの街並みについて~

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https://www.purdue.edu/ より引用

米国パデュー大学の研究チームが「世界一白塗料」の開発に成功したそうです。

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【賃貸物件】トイレの手洗い管から水が出ないときの対処法

 

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先日、我が家(借家)のトイレの手洗い管から急に水が出なくなるという事態が発生しました。どのように対処したかを備忘録として記載します。

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モデルナワクチンに異物混入していることが判明。こんな時だからこそ気をつけたいこと。

いやはや、26日に厚生労働省が発表したモデルナ社製の新型コロナワクチンに異物が混入していたという件、僕もワクチン2回接種を終えているためかなりショックを受けていますが、こんな時こそ気を付けたいものです。

 

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新型コロナ感染拡大の何がつらいって、子を思う親としてのやるせなさよ。

新型コロナの感染拡大で経済的に苦しくなっているとか、医療体制が満足に機能しなくなっているとか、感染したことで重い後遺症に悩んだり近しい方が亡くなっているとか、連日のニュースで嫌というほど見聞きしていることではなく、もっと身近でもっと個人的なことについて思ったことを書きます。

僕自身も新型コロナの蔓延で様々な不自由を強いられ、個人的な経済的ダメージはまだそれほど負ってはいないけど、会社の業績にはやや影響が出てきているし、テレワークだ何だと仕事のやり方もがらりと変わってしまったことで受けたストレスはそれなりにあります。ただそれ以上にストレスというか、心に重く響いているのは、子供がいろんな犠牲を強いられている姿を見ること。

ちょうどコロナの問題が大きくなり始めた去年4月。本来なら生まれたばかりの弟も含めた家族4人で、新1年生になった娘の入学式に行く予定でした。結局は緊急事態宣言の発出に伴い、参加できるのは生徒と家族1名のみ。仕事があるからなかなか学校行事に参加できない僕が家族代表で入学式に行ってきました。その後、今に至るまで学校行事と呼ばれるものはほとんどありませんが。

入学式も感染防止のため非常に簡素な式となり、そこから約2か月の休校。本来なら新しい友達と新しい生活を始めるはずだったのに、クラスメイトの顔も覚えないまま自宅学習の日々。6月ころから徐々に緩和されようやく学校生活がスタートかと思えば、やはりコロナの影はそこかしこに転がっており、遠足は中止、運動会も中止、夏休みのプールもラジオ体操も秋の音楽会もなし、給食は全員前を向いて黙って食べろ、できることなら放課後と休日は友達と遊ばずに家にいろ、週末もなるべく外出するな、大声でしゃべるな、マスクとアルコールは忘れずに。楽しいはずがないでしょう。

今日はパラリンピックの開会式。うちの娘も大会期間中に久々の学校行事としてパラリンピックを見に行く予定でしたが、今日学校からメールで観戦中止のお知らせが届きました。「怖くて行きたくない気持ちもあるけど、ちょっと楽しみ」と言っていた娘はとても残念がっていました。

依然として感染者が減らないどころか増え続けている状況で子供をパラリンピック観戦に行かせるのは、たとえそれが教育の一環だとしても、多くの批判もあるようですし、僕自身も行かせたくないという気持ちがあったのも確かです。理屈ではそうなんだけど、悲しんでいる子供の顔を見る親の気持ちとしては、やはり行かせてあげたかったという思いもありました。

そうやって日々「新型コロナのせいだから」といって、本来であれば自由でのびのびといろいろなことを体験していくであろう時期に、子供にたくさんのことを諦めさせる親の気持ちもまた非常につらいものがあります。行動の自粛を前提として子供を楽しませる工夫もしていますが、やはりそれには限界があります。「たくさんの人が経済的・身体的に苦痛を強いられている中、なにを甘っちょろいことを」と思われるかもしれませんが、そんなことは言われなくてもわかっていますよ。分かっているからこそ、やり場のないこの気持ちをどこにぶつければいいのかわからなくて、こうしてブログに書いているんです。

うちの娘に限った話ではなく、全国の子供たちがやはり同じようにいろんなことを諦めさせられています。特に多感な中学生や高校生、大人の入り口がようやく見えてきた中で最後のモラトリアムを謳歌するであろう大学生の中には、この状況に絶望したか自殺が増えていると聞きます。我が子の自殺など、親にとってはこれ以上ないほどの苦痛でしょう。想像したくもありません。

まだまだ新型コロナの影響が落ち着かないどころか日増しに悪化しているように思います。新型コロナウィルスは変異を続け、子供の感染者も日を追うごとに増え続けています。今後は、今まで以上に子供の生活を制限し続けなければならないと思うと心が痛みます。病床の確保もすでに困難な状況となり、万が一感染・重症化しても治療してもらえる可能性も日に日に少なくなっているようです。もし私や妻が感染して命を落とすようなことがあった場合、残された子供の気持ちを思うと、夜、布団の中で叫びだしたくなります。

一日も早い新型コロナの収束を心から願うばかりです。私が願う収束とは、新規感染者が減り罹患した方々が完治することだけでなく、子供の暮らしが新型コロナの出現以前の状態に戻ることです。そんな日が来るのはいつになるのでしょうか。

 

少年時代

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【おすすめ書籍】現代語訳「学問のすすめ」はすぐにでも読むべき古典的名著を読みやすくした必読書である

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現代語訳 学問のすすめ
福沢諭吉=著、齋藤孝=訳
ちくま新書

 

1万円札の顔でおなじみの福沢諭吉。
慶応義塾を作ったり「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という超が付くほど有名なフレーズでおなじみの「学問のすすめ」の著者であることは、多くの人がご存じかと思います。では、その「学問のすすめ」を実際に読んだことはありますでしょうか。僕はありませんでした。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」というフレーズと「学問のすすめ」というタイトルから、「人間は平等なので、だれでも一生懸命勉強しましょう」という内容かと想像していましたが、読んでびっくり、全然違いました。まずこの「天は人の上に~」の部分。これはこの本の冒頭でいきなり書かれているわけですが、これは単に皆がみな平等であることを言っていたわけではないのです。そのあとに「~にもかかわらず、なぜ賢い人と愚かなな人、裕福な人と貧乏な人、社会的地位の高い人と低い人が生まれるのか。その違いは学ぶか学ばないかにある」と書かれています。生まれた時の基本的な人権はみな同じだが、学ばないとどんどん差がつくぞ。だから学ぶことは大切なのだ、ということなのです。

じゃあ学ぶって何よ?というのがこの本のメインテーマ。この本から読み取れる福沢諭吉は徹底した実学論者で、「実学」とは「実際に役立つ学問」を指します。この本が書かれたのは明治4年~9年の間で、福沢諭吉がまず学ぶべきといったのは読み書きそろばんといった基本的かつ生活にすぐに役立つ学問。和歌や漢文、詩を読むなどといったことは後回し、普段の生活に役立つことを最優先すべきだと説いています。それはまぁ、そうだろうなと思いますが、面白いのはここから。「学問のすすめ」というタイトルから、勉強の仕方について詳しく書いた本だと想像していたのですが、そんな小さな話ではありませんでした。「生き方」について説いた本といった方がしっくりくるほど内容は多岐にわたり、国や政治の在り方、日本国民としてのあるべき姿についても説明しています。日本国民の在り方といっても、単に「愛国心を持て」とか「国に尽くすのが国民の務めだ」といった話ではなく、「国民一人一人が独立心をもって生き、学ばなければよい国は作れない。国民が愚かではよい国は作れない」といった目線で書かれています。また、国民の役割や法の在り方、男女平等、品格についてや妬み・嫉みの愚かさ、人生設計や人付き合いの大切さと心構えなど、およそ「学問」という言葉からは離れているように見える事柄についてもわかりやすく本質をとらえた書かれ方がされており、とても新鮮でした。

本文中では、西洋のことわざや歴史上の偉人の言葉、出来事などが多数引用されていますが、今でこそ年末年始におなじみの国民的歴史ドラマ「忠臣蔵」は熱狂的なファンもいるほどのお話ですが、福沢諭吉は「法治国家において私刑(=敵討ち)は恥ずべき蛮行である」と痛烈にぶった切っています。また、男女平等の章では、孔子や孟子という超が付くほどの有名人の男尊女卑的な言動を取り上げて、強烈にディスっています。過去の偉人だろうが何だろうが、道理に合わないことについては歯に衣着せぬ言動で痛烈に批判する様を読むのは、なかなか面白いものです。

きちんと内容を説明しようと思うととんでもない長さになるので、詳しく知りたい方はご自分で読むことをおすすめします。現代語訳というだけあって、非常に平易な言葉で書かれているため読みやすく、おすすめです。原著はネット上でも無料公開されていますがさすがに読みづらく内容も頭に入りにくいものです。福沢諭吉のいう「実学」を取るなら、難しい言葉で書かれた原著よりも現代語訳を読んでその内容を頭に入れることが大切なのではないでしょうか。文庫本サイズで、解説も含めて250ページ程度なのでさらりと読むことができます。

この本に限らず、古典的名著を読むことは間違いなく大きな学びにつながるのだけれども、原著を読むにはどうしても多大な労力がかかってしまいます。福沢諭吉流に言えば「原著を読むのがかっこいい」という形だけの読書をするのではなく、平易な言葉に訳された現代語訳を読んでその意味をしっかりと身に着けることが大事なのだと感じました。特にこの本は人が生きる上で参考にすべき姿勢について多く書かれており、もっと若いときに読んでおけばよかったと感じる1冊でした。

 

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